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出島は、鎖国をしていた時代に、日本で唯一ヨーロッパの文物や知識がもたらされた場所でした。
出島は、寛永13年(1636)、ポルトガル人によるキリスト教布教を禁止するために徳川幕府が築いた扇形の人工の島です。
それまで市中に暮らしていたポルトガル人たちは出島に閉じ込められ、日本人との接触は厳しく制限されました。
出島完成からわずか数年後、寛永18年(1641)には幕府の命令でポルトガル人は国外退去となりました。
空き家となった出島に移転したのが、平戸(現長崎県平戸市)でオランダ人が貿易を行うために設置していた、和蘭商館(オランダしょうかん)です。
その後、218年間、出島は“鎖国期に唯一ヨーロッパに開かれた窓”としての役割を果たしました。
現在出島では、最終的には四方を水路で取り囲む出島本来の扇形の「出島」が浮かび上がる史跡「出島和蘭商館跡」復元整備計画に取り組んでいます。
発掘などの調査をもとに19世紀初頭に出島にあった建物が続々と復元されており、江戸時代の出島の様子をご堪能いただけます。
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