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1636年、江戸幕府はポルトガル人によるキリスト教の布教を禁止するために、長崎の有力な町人に命じて約1万5千平方メートルの人工の島を築き、そこにポルトガル人を収容しました。この人工の島が「出島」です。
1639年、鎖国令によってポルトガル船の来航が禁止され、出島は一時、無人の島となりましたが、1641年、平戸のオランダ商館が出島に移転。
それ以来、1859年までの218年もの間、出島は西洋に開かれた我が国唯一の窓口として、日本の近代化に大きな役割を果たしました。
出島は、貿易の拠点であり、貿易にたずさわる商館員たちの住まいもありました。
貿易施設と居住施設が共存し、商館員や日本人の自由な出入りは禁止されていました。
世界に開かれた出島は、一方では閉ざされた空間でもありました。
出島は、鎖国時代、日本が様々な海外文化や技術を採り入れた場所でした。
それはオランダにとっても同様であり、ここを窓口に日本の文物や情報を集め、広く西洋に伝えていました。
出島は、日本と西洋の国際交流の場としての役割を担っていたのです。
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